松飾り
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白川郷は今秋、特徴の合掌造りは江戸中期から昭和初期まで白川郷から富山県の五箇山地区にかけて建てられました。古い建物で300年といわれています。しかし昭和20年から始まった荘川流域の電源開発によるダム建設により集落が水没するなどして減少していきました。さらに小集落の集団離村や当時の火災による焼失もありました。平成7年に世界遺産に登録されました。現在人口600人、世帯数約150軒。またドイツの建築学者ブルーノ、タウト氏は日本の美の再発見と絶賛、著書の中で「合掌造りは、建築学上合理的であり、かつ理論的である」とたいへんほめています。秋の天気の良い日、高山から白川郷へと旅をしたいものですねーーー。私は夏は5回ほど訪れています。
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早いもので今年も獅子舞の時期になりました。10月に入り、若者たちと練習に励み、明日は3日(火)は本番です。私は獅子のころから、もう数十年がたとうとしています。今は獅子の横笛に参加しています。昔は五穀豊穣の感謝の行事でした。万灯、貝ふき、天狗、花笠、前獅子、中獅子、後獅子、歌うたいなど豪華です。秋空に笛がこだまし、たまには獅子が踊るのを見てはいかかですかーー「takakrasisi.xlsx」をダウンロード ー。
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久々に江戸のお話です。武家の妻女たちも果敢に「切腹」 本当のお話です。切腹というと武士たちがするものと思われがちですが男だけの専売特許ではなかった。女性にも腹を切った者は数多くいた。女性の切腹の歴史は室町時代にさかのぼる。戦国時代にも切腹はあった。江戸時代にも武家の妻女で切腹する者もいた。たとえば3代将軍家光の時代、安芸藩主、浅野吉長の妻である節子が切腹をしている。これは罪を負ってのものでなく、夫吉長を諌めるための腹切りだった。当時吉長は江戸吉原で遊びすぎ、吉原の遊女二人を見受けして国に帰ろうとした。そのことが幕府に知れると、どんな処分を受けるかわからない。そのことをバカ殿にわからせるために、切腹の道を選んだのであった。1865年から33年間の内、5人の女性が切腹、また男性は38人であったから、女性の5人の切腹は少なくない。
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東洋大学と地元の銀行、飯能信用金庫との第2回産学連携セミナーが7月16日(木)川越の校舎で行われました。私もその1人として参加しました。主催は東洋大学工業技術研究所でリスクマネージメントとは何か、企業の知恵を家庭や地域に生かす、総合情報学科の島田裕次教授の講演が行われました。また木の環境効果を評価する~木材の利用促進の向けて、の講演が理工学部 都市環境デザイン学科の村野昭人教授の講演も行われました。その中で埼玉県の森林における炭素吸収量の推移、地元の資源利用、またキャンパス内にて実験住宅を建設した建物の見学も行われました。また久々に母校東洋大学、キャンパスに入り大変なつかしく思いました。最近校舎は建て替えられ耐震に耐える立派な校舎もありました。今回の講演を受けてやはり東京大学も最近力を入れているように産学連携に向けて動き始めているなと感じ、また今回の講演を聞き大変勉強になりました。今回工業系の講演が久しぶりでしたので良かったですーーー。
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久々の江戸のお話です。時代劇を見ていると大名行列の先払いが「下ーにー、下ーにー」と叫び、民衆が土下座するシーンが登場しますが実際に「下ーにー」と声を上げたのは将軍家御用建の茶を運ぶお茶壷道中と尾張、紀伊、水戸の御三家、徳川親藩の大名行列だけだった。その他の大名行列の先払いは「片寄れ、片寄れ」と声をかけるのが普通だった。といっても先払いのそうした言葉にしたがって、土下座したり、道をあける庶民はすでに家の中に入っていたからであった。そもそも大名行列は通ることが事前に知らされていた。当時の民衆は行列が通かする間、家の中でじっとしていて、その後は何事もなかったかのように普通の生活に戻ったのそうですーーー。
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